複数の異物が絡み合う腸閉塞、猫編
猫の嗜好を刺激するいろいろなおもちゃ、愛猫家なら一度は手にしたことはあるものではないでしょうか。
その中で、猫の狩猟本能を最大限に刺激するもののひとつが「ネズミ型のおもちゃ」です。このおもちゃ、その魅惑的な姿形と動きが猫を誘惑するだけではなく、胴体内部にさらにソレを増幅する”マタタビ”が仕込んであるという優れものです。
猫のおもちゃを選ぶ消費者としては、よく考えられている製品だと思うのですが、その優れた商品力が猫にとって仇となることがあるのです。
このネズミさん、猫ちゃんにとっては一時の至高の時間を与えてくれるスバらしいものですが、その快楽ゆえの大きなリスクが潜んでいます。それは「誤飲事故」です。猫にとって至高のおもちゃが猫キラーに豹変する瞬間です。
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「ネズミのおもちゃ」の誤飲例は後ほど再登場します。まず、猫で起こる誤飲事故って、どんなもの?どうやって診断するの?という諸々を以下でご説明していきたいと思います。
おもちゃをはじめとする多種多様な異物による誤飲(誤食)事故は犬や猫、フェレットで多発いたします。おそらく治療件数では犬でのものが異物の種類や件数でその他を圧倒しますが、猫での発生もまた多いものです。
猫の異物誤食は犬より少ないとはいえ、充分に注意を要すべき疾患です。猫では、例えば石やピーナッツのような固形物をそのまま飲みこむようなケースは実はそれほど多くありませんが、「猫用おもちゃ」の単独事故には時折遭遇いたします。
猫でよく問題となる異物は、自らグルーミングした毛玉のカタマリや飼い主さんの髪の毛(特に女性の長いもの)、絨毯や衣類の一部、布やビニール製などヒモ状の異物や、それらが複雑に絡み合って形成された異物が多くみられます。変わったところでは糸の付いた縫い針というのも時々あります。
猫での異物に共通するのは、猫の好きな長いひも状のヒラヒラしたもの、いわゆる「紐状異物」と専門用語で呼ばれる異物やその派生形の範疇に入るものが多くみられる点です。これは猫はヒモ状であるとか布、ウール状の触感や視覚刺激を好む性質に原因しています。
異物誤食よる腸管閉塞は程度の差はありますが、数日で急速に悪化し、症状の発生から一週間以内に対処しなければ生命の危機に直結する可能性を持つほど重大な状態を体にもたらします。ところが、最初に見られる症状は嘔吐、下痢、元気食欲の減退など、よくみられる胃腸炎のような症状でしかないことがほとんどです。
もし、”異物を飲みこんでしまった”、という飼い主さんの訴えがなければ発見が遅れがちになります。例えば異物を飲んだことに気付けなければ、いつのまにか容態が悪化して、初診時からいきなり緊急手術が必要になることも多く、患者さんの状態によっては命懸けになることも決して少なくありません。
我々獣医師は見過ごされがちな嘔吐や食欲減退などの消化器症状の中に、その危険な予兆をできるだけ早く捉えて早期に診断する必要があります。つまり、動物の体力がまだ充分に手術に耐えられる段階で治療を開始することが重要なのです。
ところが、消化管内に異物が詰まってしまっているかどうか?というのは、実は獣医師にしてみると診断上は非常に悩ましい問題でもあります。まず、症状からは通常の胃腸障害との区別がつかないことが多くみられます。もし、飼い主さんの訴えや身体検査での触診でそれらしい兆候があれば、すぐに腹部や食道のレントゲン撮影を行います。
レントゲン検査というのは光の代わりにX線を利用して撮影しますので、X線を透過しにくい物質、例えば異物が骨、石、硬いプラスティックや木材などであれば、レントゲン検査で確認することができます。ところが、猫で多くみられる毛玉やヒモ、ビニール製品などエックス線を通す異物はそう簡単にはいきません。
こういった場合、バリウムなどによる消化管造影を実施いたします。消化管造影を行うと、レントゲン検査で、胃や腸管の運動状態をレントゲン検査で時間を追って順次確認することができます。
造影剤が「写らない異物」に達すると、例えば布であればそこに入り込み、特徴的なパターンを浮かび上がらせて、異物の存在を知ることができます。造影剤はまた「重い液体」でもあるので、消化管が異物で完全に詰まってしまっていればそれ以上は流れることはありません。この場合、消化管内異物は同時に腸閉塞の診断でもあります。もし、異物が毛玉のような軽いものであれば造影剤によって異物が押し流されて治ってしまう場合もあり、この場合、造影剤は治療薬として働きます。
最近では超音波診断装置の画像向上により、異物は超音波検査(エコー検査)でも診断することが可能です。特に猫ではバリウムなどの大量の造影剤を飲ませることが難しいことがよくありますので、造影ができない場合には超音波検査によって診断を行います。
超音波検査は検査者の技術と経験によるところが大きいのが欠点ですが、現在では異物による腸閉塞の確実な診断方法のひとつとなっています。
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さて、冒頭の猫のおもちゃを食べてしまった猫さんのお話に戻ります。
「猫のおもちゃの袋が破れていて、中にあったはずのおもちゃがなくなっている。」という、いかにも異物の誤食が濃厚な猫ちゃんが来院いたしました。飼い主さんの談ではちょっとうずくまって気持ち悪そうにしているということです。
こういった場合、上でご説明したようにまず、単純レントゲン撮影を行うのですが、診察室での触診で、すでに異常が見つかりました。お腹の左前(上)の方に人差し指の先くらいの硬いものが触ります。なくなったネズミのおもちゃ(冒頭の写真)の大きさと硬さから、これが小腸に閉塞しているようです。
このように、飼い主さんの訴えとこちらの診断が一致すれば、その後の検査は比較的スムーズに進むものです。レントゲン撮影では案の定、はっきりとは写りません。おそらくこのおもちゃの素材が「塩化ビニール製」であるせいかもしれません。
異物の存在が明らかなため、消化管バリウム検査ではなく、腸閉塞の確定診断のために超音波検査を実施いたしました。
超音波検査の結果、小腸に明らかな腸閉塞がありました。こういった場合とにかく早期に、猫ちゃんの全身状態が悪化しないうちに外科手術が必要です。術前検査の結果も良好でしたので、当日中に腸閉塞の解除と異物摘出のための緊急開腹術が実施されました。
こういった早期にスムーズに手術にこぎつけられた場合、緊急手術でもちろん緊張感はありますが、「早く見つかってよかった」という一種の安ど感に包まれるものです。
ところが、そういった雰囲気は早速吹き飛ぶこととなりました。術前検査では1個しか見られなかった異物が2つ、さらにそれらが紐のような構造でつながっているようです。おそらく、エコー検査後に胃から十二指腸に落ちたのでしょう。手術室には緊張感が高まります。
小腸の2つの異物はそれぞれ、口に近い方から十二指腸と空腸に2つの腸閉塞を起こしており、各々が腸を圧迫して鮮やかんピンク色のはずの腸管の色調が赤紫色に変化しています。数日で壊死を起こし小腸に穴が開く恐れがあり、腸の生存にとっては重大な状態です。
さらに2つの異物はひも状の構造でお互いが引っ張り合っている上に、異物の表面がざらざらしているため小腸壁に密着して動きません。こういった場合にはさらに別な部位を切開して、異物をつないでいるヒモ状物を切断してから、各々の異物を摘出しなければなりません。
写真左側の十二指腸に詰まった異物摘出の最中の写真です。先に摘出した画面右側、空腸閉塞の「1匹目のネズミ」に絡みついた女性の毛髪その他が編み糸のようになって20cmほどのひも状になっており、摘出中の「2匹目のネズミ」に絡みついて長い異物となっているのが確認できます。
十二指腸からの「2匹目のネズミ」を確認して、通常であれば摘出して切開した腸管を縫合して、手術が一段落するハズです。ところが。。。
ここで、またさらに問題が起きました。どうやら十二指腸の「2匹目のネズミ」を摘出する際に絡みついたヒモ状物がさらに上流の胃内までつながっているようです。こういった場合には、さらに胃に「3つ目の異物」が存在している証拠になります。
胃内での異物の状態が不明なため、口から内視鏡を使って、胃内を検査しているところが上の写真です。内視鏡検査でさらに「3匹目」と「4匹目のネズミ」が胃の中に留まっていることが判明いたしました。2匹目と3匹目を胃と十二指腸を経て連続しているヒモ状物を切断して、十二指腸を縫い合わせた後で、内視鏡下で口から「3匹目のネズミ」と「4匹目のネズミ」を摘出いたしました。
このように、異物は複数存在することも多く、お互い絡み合っていることも珍しいものではありません。そのパターンと重症度は様々ですが、この猫ちゃんの例ではなんと、4匹全てのネズミが、胃から十二指腸、空腸の全長30cm以上にわたって飼い主さんの髪の毛と衣類、ビニール製ヒモなどが編み込まれたような異物でつながっておりました。
こういった異物同士がヒモ状物でつながっている場合には、それぞれの両端の異物が振り子状に引っ張り合ってしまい、自然に排泄されることはまずありません。一方が胃内、もう一方が小腸内にある場合、その他にも食道と胃、小腸同士など様々ですが、排せつされることなく死に至るほどの危険な異物です。
この患者さんは、”ネズミのおもちゃを食べてしまった”という飼い主さんからの情報があったため、当日の緊急手術ができたこと、結果として紆余曲折しながらも「4匹目のネズミ」までなんとかたどり着くことができましたが、もしそれがわからなかったり、病院に来るのが遅れていたら救うことはできなかったでしょう。
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売れればよしとばかりに、結果として陰で多くの命を奪っているだろうこのような危険な「おもちゃ」が注意書きもなく普通に売られていることには、我々獣医師のような状況を知る者にとっては驚きを禁じえません。人の世界とは異なりますから、潜在的な危険性に対して製造者にも罪の意識は皆無でしょうし、そういった不作為を問われることはまずないでしょう。
このようなおもちゃ類の誤飲事故は病院にかかることもなく亡くなる若い猫の死因のそれなりの割合を占めていると思われます。もちろんメーカーに直接こういった情報がもたらされる仕組みそのものがありません。
ペット関連商品では、こういったおもちゃやおやつ類など一時、世間を騒がした「こんにゃくゼリー」の比ではないくらい危険なものや、人の食品衛生法ではありえないような食品がペット用としてごく普通に売られています。
誰もそれを咎めることなく、規制されることもない。悲しいかな、動物に対しての事故は一番の被害者である飼い主さんの「自己責任」ということになってしまいます。
ペット用品、くれぐれもご注意をなさってください。
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文責:あいむ動物病院西船橋 病院長 井田 龍