はじめに。。。
ワンちゃんと生活している方にとっては、春先のこの時期にお住いの自治体から郵送されてくる、毎年同じ「狂犬病予防接種のおしらせ」を手に取ることが一年の節目?のようになっている方は案外多くいらっしゃるのではないでしょうか。。。
今回はあまりにありふれていて、飼い主さんも時として獣医でさえ、それぞれの立場でなんとなく分かっているつもりでいる狂犬病とその予防について、余談も含めていろいろと書いてみました。
皆さまは、「狂犬病予防」と聞いて何を思い浮かべますか?
もしかすると、世間一般的には、”公園に飼い主さんと犬がワイワイと集まって、獣医さんが次々と打つアレでしょ?”などという、狂犬病予防の集団接種の会場の風景が頭に浮かぶというものかもしれません。
実際に、狂犬病がいったい何なのか、何で問題になるのかがよく分からないという方が多いのではと想像します。
ワンコとの生活が長い方でも、狂犬病はとても怖い病気らしいということは分かるけれども、もう日本にはないはずなのに、”なぜ?”予防接種をしなきゃいけないのだろうと毎年、なんとなく続けていらっしゃる方が多いかもしれません。
狂犬病は半世紀以上も昔に国内から撲滅された感染症です。
もはやその病気を実体験として知る方は非常に少なくなり、戦後の出来事と同様に人々の記憶からは消え去ろうとしています。日ごろから予防行政に関わっている私たち獣医師にとっても、狂犬病は既に”教科書の中の伝染病”となって久しく、この病気への関心は高いとはお世辞にも言えません。
ちなみに私(筆者、50代)も当然この病気の実体験は当然ありません。
小さい頃に祖母から狂犬病についての逸話や生家の周りで以前あったという「野犬狩り」の話を聞かされたことがある程度です。地元は横浜のはずれでしたが、まだ野犬が出るから危ないと伝えられている場所があったと子供心に記憶しています。
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ところで上記の、なぜ狂犬病予防?”、というくだりの答えは「狂犬病予防接種」とそれに伴う自治体への「畜犬登録」、「鑑札を着けること」は犬を飼育するに上で飼い主の義務となっているからです。(答えになっていないかもしれませんが敢えてこう書きました。)
この義務というのはやった方がよいという努力目標などではありません。それは我が国で犬を飼育する上で狂犬病予防法による法律的な義務を誰であろうと負わなければならないからです。
では、同じように生活している猫は?ウサギやハムスターは?。。。
もちろん、犬以外の動物を飼う上での法律上の義務はありません。
では、なぜ犬だけなのでしょうか?
それは、人間の生活圏で起こる都市型の狂犬病は犬をはじめとする人との関係の深い動物がもたらす伝染病であるためです。かつて日本国内で流行した狂犬病は犬が人にもたらす病気としての特徴を強くもっていました。
戦後に流行した狂犬病は、犬の登録義務や予防の実施のみならず、病気を発症した疑いがある犬はもちろん、野犬など感染の可能性のあるのものを排除することで撲滅に成功しました。我が国の法令や義務的予防接種のしくみはこうした歴史の延長線上にあるものです。
ところで、この狂犬病予防法に違反した場合には罰金、さらに起訴や拘留に至るまでの重い処罰の対象となる可能性があります。
ご参考までに、法律に定められた飼い主の義務に違反した場合には「20万円の科料」となっており、これは「予防接種をしなかった」だけではなく、単に「鑑札を着けていなかった」ことにも及びます。
いかがでしょうか?随分と重いと感じられたはずです。
実際にはかなりの方が法律違反を犯しているのではと推測できますが、その実態は「あまり取り締まられない交通違反」のようなものです。
つまり、”ノルマを課してまで”熱心に違反を取り締まる警察に比べると、狂犬病予防法を管轄する行政の姿勢が各自治体ごとにバラバラで総じて鈍いためです。
狂犬病予防法の義務や罰則がやや重く感じるのは、狂犬病の制圧を求められていたという法律の制定時の時代背景もありますが、この法律がいつか起こるかもしれない狂犬病の発生という”緊急事態”を想定したものであることもその理由のひとつでしょう。
狂犬病が発生していない”平時”の行政の取り締まり姿勢が”意図的に緩い”のもそういう理由かもしれません。
ちなみに当院は千葉県船橋市と市川市からの患者さんが大部分を占めますが、市境にお住いの患者さんの話よると未接種世帯への督促は、市川市>>船橋市のようで、”お隣なのに船橋は緩くて、市川は厳しい”という意見がよく聞こえてきます。
市境を家一軒分跨ぐだけで自治体の対応が違うというのはどうなのかと正直思いますが、こうした行政側の都合が法律の順守を曖昧なものにしている点は否定できません。
罰則を伴う法律の運用が自治体によりまちまちで「行政の一部門のヤル気に依存する」というのはどうも困ったものです。。。
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ちょっとここで一旦、法律的な問題は横に置いておくことにしましょう。
日本国内での犬の咬傷事故は届け出だけで年間6000件はくだらないだそうです。この数字をぱっと見ると何やら少ないような気もしてきますが、実際のところはよく分かりません。
ところで、こうした事故の際に、予防をしていない犬がもし他人を噛んだりケガをさせた場合、またはその疑いをかけられた場合、狂犬病未接種だった場合には意外なリスクが潜んでいることをご存知でしょうか?
以前、通りすがりに足首に歯が当たったということからトラブルに巻き込まれた、おとなしい小型犬の例を経験したことがあります。そうしたまさに貰い事故みたいなものであって、仮に加害者に非がない場合でも狂犬病予防を怠っていた場合には、それはもう法律違反ですから、その一点で加害者の立場はより悪くなるわけです。
咬傷事故を起こしたと申し立てられた加害者の飼い主さんは、噛んだ犬が予防をしていない場合には狂犬病に罹っていないことを獣医師の診断を何度も受け、費用、労力、時間をかけて証明してもらわなければなりません。
この作業を狂犬病鑑定といいますが、獣医師は時折、咬傷を起こしてトラブルに巻き込まれている飼い犬の鑑定依頼を受けることがあります。私が過去に依頼を受けた加害者の方が狂犬病予防接種をしていないという落ち度により、賠償などに関して不利な立場に追い込まれているケースを何度も見てきました。
本末転倒な話ですが、”狂犬病予防をしていない”ということは法律違反であるということだけに留まらず、犬との生活に潜む予想外のリスクを高める可能性があることも知っていただければと思います。
狂犬病予防のシーズンになると、動物病院の診察室では、”うちのタロー、もう10歳だから狂犬病予防接種は受けさせたくないんだけど、大丈夫ですよね?”、”かわいそうだから狂犬病予防をしないようにできる書類をもらえませんか?”などという話が毎年、繰り返されるものです。
私自身、室内飼育の老チワワの飼い主の1人ですから、こういった飼い主さんの心情は個人的にはとてもよく理解できますが。。。
”狂犬病予防接種をやりたくない”というご相談には獣医師として、ことあるごとに予防の義務を丁寧に説明を申し上げるのですが、なんだか納得いかないという気持ちを投げかけられることも少なからず経験いたします。
インターネット上でも「個人的事情」をはじめとする不要論、業界利権だとか「副作用で多数が犠牲になっている」などのデマに至るまで様々なものがみられます。
否定的なものの一部にはページビューやアフェリエイト等のために注目されやすい極論で煽るようなサイトも見受けられますが、こうしたことも含めて現行の狂犬病予防の運用の仕組みを不満に感じている方がそれなりの数いらっしゃる現れといってもいいのかもしれません。
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たくさんの意見があるのはもちろんよいことでしょうが、我々獣医師は国家資格をもらって仕事をしておりますので、狂犬病予防法に基づく予防の必要性を説明してその促進するという責務を負っています。
この点には議論の余地はありません。
こうしたことは税理士さんが「税法」による納税の義務を説明したり、自動車の整備工場が車検の必要な車の所有者に「道路運送車両法」に基づく車検の義務を説明することと何ら変わらないものです。
上記のタロー君に関してのご相談を獣医師に投げかけることはつまり、”もう年だし税金もきついから今年から納税しなくて大丈夫かな?”、と税理士に尋ねたり、”クルマはあまり乗らないから車検を延期できる書類を書いてくれ”、と整備工場に直談判することと同様に意味がないことであるとお察しください。。。
法律的義務などというものは、個人的な心情で納得いかないとか面倒だと思いながらも、法律違反によるペナルティや不都合ゆえに従わざるを得ないものでしょう。狂犬病予防も表面上は業界の悪習や利権のように見える部分があるのかもしれませんが、これも国が定める国民の義務のひとつでしかありません。
なぜか狂犬病予防の「是非の矢面」に立たされることが多い獣医師ではありますが、我々には狂犬病予防法の解釈を変えたり、凌駕するような超法規的なパワーなんてものはそもそも持ち合わせていないということ、狂犬病予防事業は獣医師にとっても「義務」であることも、ご理解いただければと思います。
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では「狂犬病」とはいったいどういった病気で、なぜ犬の予防接種が必要なのでしょうか?
狂犬病は診断・治療の非常に困難なウィルス感染症で、毎年全世界で5万人以上が死亡する重大な人獣共通感染症、人間と動物の間で起こる感染症のひとつです。
日本国内ではすでに撲滅されており過去の感染症となりましたが、戦中戦後の混乱期には数多くの死者を出して猛威を振るいました。現在でも世界中で発生しており、アジア、アフリカ、南米が流行地域になっています。
狂犬病は一旦発症してしまうと有効な治療がなく、その死亡率は限りなく100%というなんとも恐ろしい病気です。
さらに症状が出るまでの潜伏期間が1~3か月と長いために感染に気付きにくく、その病気に感染したという診断に至らず、しばらく経過した後に発症して「けいれん」や「マヒ」をはじめとする狂犬病に特有な激しい脳神経症状を起こして、急速に死に至ります。
感染の疑いのある場合には暴露後(ばくろご)ワクチンを何度も接種してその発症を防ぐしかありません。2012年、米国で8歳の少女が奇跡的に狂犬病を発症した後に生還したことが大きなニュースになりましたが。こうした例は記録の上で10人に満たない稀有なものです。
狂犬病はインフルエンザなどのように人から人への感染を引き起こさないため、現在の国内での感染症対策では優先度は高くありません。
ただし、罹ってしまった場合の死亡率は悪名高いエボラ出血熱ウィルスなど、あらゆるウィルス感染症を上回り、”最も死亡率の高い病気”としてギネスに記載もあるということに驚かれる方は多いのではないのでしょうか。
狂犬病は国内での発生は昭和31年以降は公式には記録がありません。このため日本は数十年の長期にわたって狂犬病清浄国となっておりますが、平成18年にフィリピンより帰国した男性が現地で狂犬病ウイルスに感染し、帰国後に発症、死亡したことが確認されています。
また、昨年9月に日本と同様に清浄国であったお隣の島国、台湾での発生が認められました。台湾での発生は海外からの侵入ではなく、野生動物(イタチアナグマ)によって長い年月、保持されていた狂犬病ウィルスが突如として犬に感染したものでした。狂犬病ワクチンの不足も手伝って台湾社会を震撼させたのはまだ記憶に新しいニュースでしょう。
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多くの方が「狂犬病」と聞いて想像されるイメージはおそらく下のイラストのような犬の姿ではないかと思います。
ところが、こうしたイメージは犬での狂犬病という病気を単純化したものとしては正しくもあるのですが、この病気の本当の理解や予防啓発という意味では誤ったメッセージを発する可能性があります。
つまり、狂犬病と聞くと、”犬の病気だから人間には関係ないのでは?”という類の病名による勘違いが多く見受けられるということです。それが転じて「狂犬病が発生していないのに狂犬病予防接種が何でうちの子に必要なの?」と考える方が多くいらっしゃるのでしょう。
狂犬病は人間生活に近い動物である犬が人間への感染の橋渡しをすることが多い伝染病です。日本語で「狂犬」となっているため、犬の病気?であるとか、犬だけが関係するものという誤解がしばしば生じています。
「狂犬病」は英語では「Rabies」ですが、そこに「犬だけの病気」という意味合いはありません。日本語へ翻訳する際に生じてしまった表現上の誤りがその理由です。
狂犬病の実態は人間生活に身近な犬のみならず猫などの伴侶動物、牛馬などの家畜、げっ歯類などの野生動物を含めた「すべての哺乳類」や鳥類に幅広く感染を起こし、そうした媒介動物が人間社会に脅威を与える伝染病です。
各国で、どんな動物が狂犬病もしくは、「狂〇〇病」というかたちで脅威となっているのかはそれぞれ随分と異なります。下図をご覧になってみてください。
※図は厚生労働省のホームページより引用しました。
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犬への狂犬病予防接種は人への感染機会の多い犬を予防することで、再び狂犬病が侵入した時に飼い犬の集団免疫によって、その蔓延を阻止するための手段です。
つまり、現在の狂犬病予防法で求められている狂犬病予防接種は接種をした犬1頭への狂犬病感染を防ぐことではありません。犬の集団から人間社会への感染経路を絶つことこそがその目的なのです。
こうした仕組みをかたちづくるために、法律が定める義務的予防接種として飼い主さん達に課しているというものです。
「高齢」、「かわいそう」、「お金をかけたくない」などの個人的理由で予防接種をしないという選択権は飼い主さんにはありません。いわば罰則を伴う社会責任のひとつと言えるでしょう。
我が国で狂犬病予防が犬のみに義務付けられているのは過去に蔓延した狂犬病の感染経路や、狂犬病予防法によりそれを根絶した実績があり、それが理にかなっているためです。
例えば、発生国の米国では犬だけではなく猫に対して接種義務があったり、清浄国のイギリスのように義務はない代わりに、感染を疑う動物の徹底排除とする国もあるなど、狂犬病を蔓延させないための手段やルールは国により異なっており、優劣のつく問題ではありません。
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狂犬病予防接種を義務化していない西欧諸国や予防そのものを禁止している豪州を例に出して、日本の予防行政の「後進性」が動物愛護と絡めてしばしばやり玉に上がります。
しかし、国としての対応はその国が狂犬病の侵入に際して、どの点を厳格にして狂犬病のリスクに向き合うと決めたかの違いでしかありません。当然、個人の心情としての動物愛護云々とも無関係なことです。
わが国では狂犬病ワクチンによる平時からの抑止を選んでいますが、一見して煩わしくみえるこうした仕組みは、緊急時には「ワクチン済みの犬の生存を許す」という暗黙の了解を与えるものでもあるでしょう。
一方で義務化をしていない西欧諸国の場合に、合理主義の彼の国々ではその対応がどのようなものになるのか想像してみてもいいかもしれません。
動物及び人に関わる重大な感染症としては、時折ニュース報道などで騒がれる鳥インフルエンザなどが代表的ですが、その発生時には動物には治療はもちろんのこと、ワクチンさえ使われることはありません。
重大な動物の感染症を封じ込めるという目的のため、発症した動物だけではなくその疑いのある動物、さらにその地域の健康な動物を含めての殺処分が広範囲に行われるのはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。動物たちにとってみればまさに手段選ばずのこうした事実を私たちは感情論抜きにして受け止めなければなりません。
つまり、切迫した感染症の蔓延を防ぐために、人間社会は動物達をどのように扱うか?ということに行き着くでしょう。次回の狂犬病の再流行の場合にはいかなる対応となるでしょうか?その時々の社会情勢次第ではあるでしょうが、こうした例えは決して極論ではないのです。
人や動物の国際間の行き来がより頻度を増した現在では、国内への狂犬病の侵入の恐れはむしろ増大しているのが現状です。
わが国では海外から見境なく輸入される様々な種類の愛玩動物に対して、その検疫体制は決して充分とはいえるものではありません。むしろ、狂犬病が予想外の動物や経路から侵入することを常に想定しなければならないのが現状です。
もしかしたら既に国内に侵入して野生動物の間で犬や人間への感染の機会をうかがっている状態かもしれないのです。
さらに、日本国内では狂犬病ワクチンの接種率が年々低下して、その実態はおおよそ4割を下回っています。これは国連の世界保健機関(WHO)が勧告している狂犬病の流行を防ぐために最低限必要とされる接種率70%を大きく下回る予防水準です。
狂犬病は撲滅された過去の病気だから、もう日本では発生しないだろうという楽観的な根拠は全くありません。
犬は太古の昔から、時代とともにそのかたちを変えながら常に人間の最良の友であるとよく言われます。しかし、その一方で、時には狂犬病という恐ろしい感染症をもたらす危険な隣人にもなり得る存在だということを私たちは忘れるべきではないでしょう。
最後に下の図をご覧になってください。赤とピンクで塗られた地域は狂犬病が現在発生し続けている地域です。それと比べると日本をはじめとする青い色の狂犬病清浄地域はわずかでしかないという現実をご理解いただき、狂犬病予防の重要性をあらためて考えてみられてはいかがでしょうか。
※図は厚生労働省のホームページより引用しました。
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文責:あいむ動物病院 西船橋
井田 龍