>>>猫のトキソプラズマ症とは?———————————————-
トキソプラズマ症というのは数ミクロン程度の虫というよりむしろ細菌の大きさに近い原虫、トキソプラズマ原虫(Toxoplasma gondii)が引き起こす全身感染症です。トキソプラズマ原虫は哺乳類や鳥類に広く感染する寄生虫(単細胞動物)の一種であり、豚肉や鶏肉、牛肉などの家畜の生肉や汚染された土壌や水を感染源として世の中に広く存在しています。
下の写真がトキソプラズマの顕微鏡写真で、緑色のツブひとつひとつが原虫です。
猫と人間を取り巻くトキソプラズマの感染のしくみは下図で(a.)~(f.)で示します。
上記の写真と図は国立感染症研究所のサイトから引用しています。
ー> 「トキソプラズマ症とは」、国立感染症研究所
猫や人間をはじめとする動物への感染の多くは筋肉など内臓の中に潜むトキソプラズマの組織シストに汚染された生肉などから感染する経路(e.)(d.)、もうひとつがトキソプラズマに感染した猫の糞便中に含まれる腸管型オーシストを口から摂取することです。(a.)(g.)
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腸管型オーシストによる感染経路は、糞便を介して猫から猫へ(g.)、猫から人間への感染源(a.)となるため、これが公衆衛生的な問題となります。さらにその原因が人間生活と密接な関係性を持つ猫であるということから、医療と医療という異なる分野を横断する問題となっています。
人間へのトキソプラズマの感染元には分かりやすくすると「食肉」、「猫の糞」の2通りが存在します。重要な点はどちらの感染経路でもトキソプラズマに初感染の妊婦さんであれば、経胎盤感染(f.)によって、胎児に先天性トキソプラズマ症を引き起こす可能性があります。
つまり「妊婦とトキソプラズマの問題」はただ猫を遠ざければよいという問題ではないことを、まず最初に理解することが重要です。
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トキソプラズマは環境への強い抵抗性を持つ「オーシスト」として糞便中に排泄されます。1日程度でオーシストの中で「スポロゾイト」という形態に変化したトキソプラズマは、他の動物への感染力を獲得します。このスポロゾイトはオーシストの中に潜みながら数か月以上の間、感染能力を保ち続けます。
感染に成功したトキソプラズマは体内で急激に増殖する「タキゾイト」(b.)に変化して数を増やします。その後、宿主の免疫により増殖が抑えられ、ゆっくりと増殖する「ブラディゾイト」に変化して、脳や筋肉などで多数の組織シストを形成して潜伏します。(c.)そして、次の感染と繁殖のチャンス、つまり最終的に終宿主のネコ科動物に食べられてしまうことを待ち続けます。
下の3枚がトキソプラズマの形態変化を示す顕微鏡写真です。
左から順に糞便中にみられる卵状の腸管型「オーシスト」、感染初期にみられる三日月型の増殖型「タキゾイト」、被捕食者の筋肉や脳に形成され青い粒のように見えるブラディゾイトを多数含む「組織シスト」です。
写真は千葉県獣医師会のサイトから改変(拡大のみ)引用しています。
ー> 「トキソプラズマ症」、千葉県獣医師会
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猫とその他の動物での違いは糞便中に感染力のあるトキソプラズマのオーシストを糞便中に排泄するかどうか、つまり繁殖できるかどうかです。自然界では人間をはじめとする中間宿主の哺乳類は食物連鎖の上でネコ科の動物に捕食されるという想定からか、トキソプラズマを繁殖してオーシストをつくれるのは終宿主のネコ科の動物に限られています。
トキソプラズマ症はネコ科の動物が深く関与する感染症ですから「猫に関わる病気」というイメージで語られること多いものですが、実際にはトキソプラズマに感染した猫が症状を出したり、飼い主さんが気付くことは通常はほとんどありません。
このため、猫のトキソプラズマ症は我々獣医師が治療対象とする感染症としてはなじみのない病気のひとつです。
トキソプラズマ症は猫に起きる重大な感染症というより、むしろ猫から人間へと伝播する感染症という公衆衛生の上での重要性が強いため、人間の医療方面から問題とされる感染症です。
特に妊娠を予定している女性や妊婦さんとその胎児へ与える問題という点と、多くの女性との濃厚な接点を持つ猫との強い関係性から、通常の人獣共通感染症よりもかなりセンシティブな扱いを受けている問題です。
>>>人間の病原体としてのトキソプラズマについて—————————-
人間のトキソプラズマ症は典型的な「日和見感染症」のひとつです。日和見感染症とは通常の免疫力があれば感染を起こしていても症状を出すことがなく、病気や薬剤など免疫機能が低下している場合に発症する感染症のことです。
人間では、例えば後天性免疫不全症候群(AIDS)や臓器移植を受けた患者さんなどに重大な感染症として発症する可能性があります。トキソプラズマが関与する感染症として脳炎や肺炎がよく知られています。
猫と人間を取り巻くトキソプラズマ症の重要性は妊婦がトキソプラズマに感染した場合に、胎盤を通じて胎児に感染して流産や先天性トキソプラズマ症などの重大な障害を起こすことがあるという点にあります。実際に動物病院で受けるトキソプラズマに関してのご相談の多くは、妊娠する予定であるとか妊娠中の方からのものがほとんどです。
人間のトキソプラズマ症の詳しい情報に関しては以下のリンクが参考になりますのでご覧ください。
ー> 「トキソプラズマ症とは」、国立感染症研究所
また、トキソプラズマについての分かりやすい説明、医療機関と動物病院にどのように相談すればいいか、という点に関しては下記のサイトがご参考になると思います。
ー>「愛猫の動物病院のかかり方は?」、トーチの会
>>>猫のトキソプラズマ感染症の症状—————————-
トキソプラズマに感染した猫がなんらかの症状を発症することは少なく、多くの場合は無症状で経過します。発症があった場合には数日間の発熱やリンパ節の脹れ、下痢を起こす程度のことがほとんどあるため、飼い主さんがそれと気づくことは難しいと思われます。
トキソプラズマは猫に初感染を起こすと腸管の細胞内で激しく増殖するタキゾイトとなります。稀ではありますが、この急激な増殖が体内に波及して致命的な腸管外トキソプラズマ症を発症することがあります。肝臓、肺、脳などの中枢神経系が急速に侵され、特に子猫が経乳感染や胎盤感染を起こした場合には劇症の腸管外トキソプラズマ症によってほとんどが死に至ります。
また、猫の免疫の問題によっては重大な慢性のトキソプラズマ感染症が起こる可能性もあります。眼内に生じるブドウ膜炎が代表的ですが、その他に発熱や体重減少、元気・食欲低下、てんかん様発作や運動失調などの神経症状、膵炎、下痢など消化器症状、黄疸など多岐にわたります。
これらの原因の特定が難しい症状がみられる場合には慢性トキソプラズマ感染症を疑う必要があります。
>>>猫のトキソプラズマ感染症の診断—————————-
猫のトキソプラズマの診断には虫体の検出をする以外にはありませんが、実際にはどのような検査でも虫体そのものが検出できることは稀であり、病気が重度になる程難しくなる傾向があります。
トキソプラズマ症による下痢を起こしている場合には糞便中のオーシストでトキソプラズマ感染を疑うことはできますが、オーシストは同種のコクシジウム類との外見上の区別が困難で目視による顕微鏡検査ではトキソプラズマ症を確定することができません。
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妊娠を予定されているもしくは妊婦の飼い主さんから、トキソプラズマ抗体価を依頼されることが時折ありますが、この抗体検査は飼い猫が今までにトキソプラズマの感染を受けたことがあるかを確認するための検査です。
「猫側の視点」からみる妊婦さんの危険度は以下のように解釈できます。まず、愛猫のトキソプラズマ抗体が陽性であれば、通常は初感染で起こるオーシストの排出は妊娠期間中にはほぼないであろうと判断されるため、安心材料となります。
逆にトキソプラズマ抗体が陰性の場合には今まで感染を受けていないと考えるか、とても少ない確率ですが初感染を受けているが、まだ抗体価が上がっていないという可能性があります。この場合には「感染を受けていないから大丈夫」ということではありません。むしろ妊婦さんは猫との関係に注意を払う必要があります。
ある調査では妊婦の方の0.25%が妊娠期間中に人間のトキソプラズマ抗体が陽転したというデータがあります。これは妊娠中のトキソプラズマ感染を示唆するものですから、この間にトキソプラズマ感染の疑いはおおよそ1000人に2人前後で起こりうるということです。この中に猫からの感染がないとは言い切れません。
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猫でのトキソプラズマの発症率は低いものの、猫自身のトキソプラズマ症を疑う際にも抗体検査を行います。実際には妊婦さんの検査の一環という猫の病気の診断とは異なる使われ方をされることが多いのですが、本来は猫のための検査です。
そもそも抗体検査というのは評価が曖昧な側面を持ちます。トキソプラズマ抗体の陽性という結果は感染が少なくとも数か月以上前にあったということを示します。つまり抗体価が陽性の猫はトキソプラズマを排泄することがほぼないため、妊婦さんには安全だろうという判断ができます。
しかし、抗体検査では起きている異常の原因が本当にトキソプラズマなのか?という確定診断にはならないため、検査を複数回行って抗体価の変化を評価する必要があり、手間も時間もかかってしまいます。このため、その他の検査を組み合わせながら診断を進める必要があります。
猫では慢性トキソプラズマ症として、眼内にブドウ膜炎を起こすことがよく知られています。ブドウ膜炎がみられる猫ではトキソプラズマはまず考えなければならない原因のひとつですので、まずトキソプラズマの抗体検査を行います。
疑いがある猫には、眼の中の眼房水をもちいた遺伝子増幅によるPCR法によって高い精度でわずかなトキソプラズマの遺伝子を検出して病原体が存在するという診断を行うことができます。
このPCR法は糞便でも可能で、従来の顕微鏡による糞便検査とは比較にならない精度でトキソプラズマの有無を明らかにできるため、便検査でオーシストがみられない場合や、発見されたオーシストがトキソプラズマかどうかを診断することができます。
>>>猫のトキソプラズマ感染症の治療—————————-
猫トキソプラズマ症の治療はクリンダマイシンやアジスロマイシンなどの抗生物質や、トリメトプリム・サルファ剤などの抗菌薬を使用します。
残念ながら、猫の体からトキソプラズマを完全に取り除いたり、オーシストの排泄を完全に抑え込む抗トキソプラズマ薬はありません。このため慢性経過をとるトキソプラズマ症は再発を繰り返す可能性があります。
>>>猫のトキソプラズマ感染症の予防—————————-
猫は通常、トキソプラズマに初感染した後数日から10日程度にわたって糞便中にオーシストを排泄しますが、その後に繰り返し排泄が起こるようなことは非常に稀です。ただし、2回目以降の感染を受けた場合にはその都度オーシストの排泄が起こることもあります。
しかし、実際にはオーシストの排泄をする猫は無症状なことがほとんどで、予測するのは初感染も含めて不可能なため、いつオーシストが排泄されているかは分かりません。
一般的にオーシストを排泄している間はトキソプラズマ抗体価が陰性であり、その後に抗体価が陽性になるとオーシストの排泄はほとんどなくなります。
また、猫はとてもきれい好きなため、グルーミングによって一週間以内に汚染された糞便ごとオーシストは除去されますので、通常は体表面に付着し続けることはありません。トイレの便はすぐに取り去るようにして常に清潔を保てれば環境中にトキソプラズマの汚染が起こることは少ないでしょう。
>>>人間を含めたトキソプラズマ感染症の予防—————————-
冒頭に記載した通り、人間へのトキソプラズマ症の感染源としての猫がクローズアップされがちですが、人間へのリスクは加熱されていない肉類などを含めた汚染環境からの経口感染の重要性も高いため、猫からの感染リスクを含めて注意を向けなければなりません。
猫を含む人間へのトキソプラズマの症の予防には「環境中のオーシストの摂取を防ぐ」、生の肉類に含まれる「トキソプラズマの組織シストの摂取を防ぐ」ためのいくつかの留意事項があります。
〇オーシストの摂取を防ぐために
・生肉や、充分火の通っていない肉を猫に与えない。
・小動物などトキソプラズマの宿主を遠ざけ、猫に狩りをさせない。
・猫のトイレは毎日掃除し清潔にして、糞は残さず洗い流す。
・猫のトイレは定期的に熱湯で洗浄・消毒する。
・土いじりの際には手袋をつけ、その後はよく手を洗う。
・生野菜の摂取を避けるか、よく洗ってから食べる。
・子供が遊ぶ砂場や庭に屋外の猫を入れない、排せつさせない。
・生水を食品に付着させない。飲むときには必ず沸騰させる。
・オーシストを排泄させる可能性のある猫を抗トキソプラズマ薬で治療する。
〇組織シストの摂取を防ぐために
・生肉、肉製品は66度以上の温度で調理したものを食べる。
・生肉を扱うときは手袋をつけるか、調理後はよく手を洗う。
・生肉を扱った調理器具、食器はそのまま使用しない。
・生肉は、肉製品は調理前に3日間以上凍結する。
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文責:あいむ動物病院西船橋 病院長 井田 龍