動脈血栓塞栓症(そくせんしょう)

>>>猫の動脈血栓塞栓症について

血栓塞栓症とは何らかの原因で生じた血栓血液で運ばれて、離れた場所にある動脈塞栓(そくせん)を形成して詰まってしまい、それ以下の血行が完全に遮断されたり極端に減少して急激に生じる臓器組織障害のことです。
血栓塞栓症はあらゆる動脈に生じる可能性があり、症状は部位によりさまざまです。人間では「動脈血栓」による脳梗塞心筋梗塞、また「静脈血栓」によって肺動脈で生じる「エコノミークラス症候群」はよく知られた病気ではないでしょうか。

実は健康な状態でも血栓は常に生じていますが、血栓形成とその「溶解」は常にバランスがとれているため通常は問題になることはありません。
しかし、何らかの原因で「血液凝固が起きやすくなったり」、「血管壁(心内膜)が傷ついたり」、「血液がスムーズに流れず滞留したり」するという3条件によって血栓形成の勢いが「溶解」に勝るようになります。このようなしくみで動脈で形成される血栓動脈血栓静脈でのものを静脈血栓と呼び、治療予防の上で区別します。

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猫でも人間ほどではありませんが時折、血栓塞栓症による問題が生じます。猫において典型的なのは腹部大動脈血栓塞栓症であり、後肢に至る大動脈の末端部での発生が最も多く、次いで右前肢でも発生します。その他には、腎臓腹腔などにも動脈塞栓は少ないながら発生する可能性がありますが発生率に関してははっきりしません。

猫での血栓症の原因は「心筋症など心臓病によるもの」、「肺腫瘍などの腫瘍性疾患によるもの」、「原因のはっきりしない特発性のもの」に分類されますが、特に肥大型心筋症などの心疾患を持つ猫での発生が多くみられます。
肥大型心筋症によって動脈血栓が生じる理由は、心疾患によって「引き伸ばされて拡張した左心房」では「血液凝固が起きやすくなったり」、「血管壁が傷ついたり」、「血液がスムーズに流れず滞留したり」という血栓形成の上記3つの条件がそろいやすいためです。

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下の写真は筆者の経験した、若い猫で生じた原因のはっきりしない特発性腹部大動脈血栓塞栓症での血管造影の写真です。赤矢印の先に白く見える造影剤血栓によって欠けている部分がありますが、これはそれ以下への血行が完全に遮断されていることを示しています。腹部大動脈血栓塞栓症とはどういうものかということをご理解する上でのご参考としてご覧ください。

この写真の猫は心疾患や大きな合併症がみられなかっため、外科的血栓を摘出して無事に回復しました。その後再発はなく、約7年後に悪性腫瘍リンパ腫で生涯を全うするまでまで問題ない生活を送ることができています。ただし、血栓形成の原因となる心疾患などの予後の悪い病気を伴わず、外科手術が功を奏するケースは稀なものでしかありません。

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次の写真は、上写真の赤矢印先の塞栓部位の拡大像です。

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>>>動脈血栓塞栓症の症状は?

心房内などで形成された動脈血栓腹部大動脈の末端部、後ろ足の動脈への分岐部で何の前触れもなく生じる傾向があります。多くは猫が「悲鳴を伴う」程の強い痛みを訴えることで異変が判明することが多く、しばしば救急疾患として来院します。

後肢の動脈塞栓虚血を起こしている後肢の「強い痛み」、「神経的な不全麻痺」、「脈拍の欠損」、「皮膚の冷感」、「皮膚やパッドの蒼白」などの特徴的な症状を生じます。これらの症状は右前肢に動脈血栓塞栓症が起きた場合も同様です。
その他に同時に心疾患が存在していることが多いため、聴診での心音の異常が約半数で認められます。

腹部大動脈血栓塞栓症では原因となっている肥大型心筋症などによる心不全を伴って緊急化していることも多く、この場合はうっ血性心不全による肺水腫や、胸水貯留による呼吸困難などが同時にみられることがあります。呼吸速迫は後肢の痛みや不安でも生じますが、こうしたうっ血性心不全の緊急事態を示すサインであることも多いため注意が必要です。
こうしたうっ血性心不全症状徐脈低体温、両脚での発生などは動脈血栓塞栓症予後不良の指標となります。

 

>>>動脈血栓塞栓症の診断は?

典型的な腹部大動脈末端の血栓塞栓症では後肢の状態を観察して、この疾患の特徴のいくつかに合致すればおおよその診断が可能です。これは「動脈拍動がないか極めて弱い」、「後肢の痛み」、「不全麻痺」、「筋肉の硬直」、「爪を深く切っても出血しない」というような、後ろ足への血行遮断を疑うような特徴です。

腹部超音波検査では大動脈の中に血栓が確認できることもあります。左下が血栓を中心に観察した血流ドップラーエコーによって左右の着色部位には、青→赤の血液の流れがあること、その間の黒い部分は血栓によってその流れが遮断されていることを示しています。右下に見やすいように血管の模式図を重ねてありますが、黄色矢印に囲まれた部分が血栓を示しています。(左が頭です。)

大動脈塞栓.JPG 大動脈塞栓 (2).jpg

猫での動脈血栓塞栓症は全身性の緊急疾患であり、さらに、うっ血性心不全による重篤度の高い状態のことが多いため、血液検査、レントゲン検査などのできることから順に検査が行われます。可能であれば心臓超音波検査を行い、併発しやすい肥大型心筋症などの心疾患の有無とその評価を行います。

猫では平時には心不全症状を欠くことが多いため、腹部大動脈などの動脈血栓塞栓症発症時に初めて心疾患が判明することも多く、おおよそ1割強の肥大型心筋症急性動脈塞栓症に伴って診断がなされています。

 

>>>動脈血栓塞栓症の治療と予防は?

動脈血栓塞栓症治療血栓を形成させにくくしたり、血栓を溶解させるような薬物を用いた内科的治療が主体となります。外科的血栓摘出する方法は、その多くが重度の心疾患合併した緊急状態ということもあり、麻酔を伴う手術リスクが格段に高く、現時点では推奨されてはおりません。

猫の動脈血栓塞栓症の治療の目標は「血栓形成の予防」、「血流の改善」、「痛みの管理」、「合併症の管理」です。

〇抗凝固療法について

血液凝固を起こしにくくして「血栓形成の予防」を図る治療です。
急性期では入院管理下での低分子ヘパリン(ダルテパリン)による抗凝固療法がおこなわれるのが一般的です。この薬剤皮下注射も可能なため、引き続き退院後の在宅治療で用いることも可能です。
薬を飲ませることが可能であれば、低用量アスピリン療法抗血栓薬クロピドグレルが有効です。また、人間での代表的な抗凝固薬ワルファリンが用いられることもありますが、猫での維持管理はやや難しいとされています。

猫の動脈塞栓症死亡率の高い病気ですから、起きてしまった場合の対処だけではなく、その発症リスクをいかに下げて予防するかということが重要です。原因のほとんどを占める肥大型心筋症などの心疾患による心房拡大心房内血栓の大きな要因となるため、明らかな左心房拡大がみられた場合には予防的に抗凝固療法を行った方がよいともいわれています。

〇血栓溶解療法について

血栓そのものを薬で溶かして「血流の改善」を図る治療です。
人間の脳梗塞血栓溶解療法で用いられる、t-PA製剤(組織プラスミノーゲン活性化因子)が代表的な薬剤です。このt-PA製剤のうち、モンテプラーゼアルテプラーゼなどが猫で使用される薬物です。ただし、この薬剤は血栓塞栓症が生じてから数時間以内に投与をはじめなければならないということと、その副作用がしばしば問題になります。人間での血栓溶解療法(t-PA療法)のしくみと特徴は下記のリンクが参考になると思いますのでご参考になさって下さい。

ー> 脳卒中ウェブガイド(福岡脳卒中データベース研究)

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塞栓を起こした血栓を外科的に摘出する方法もありますが、動脈塞栓症ではその多くがうっ血性心不全やその他の重大な合併症をを併発して緊急化していることが多いため、全身麻酔が必要な手術はリスクが大きいためほとんど実施されることはありません。非常に少ない割合ですが、心疾患を伴わない特発性血栓塞栓症外科的摘出の適応となる場合があります。

動脈塞栓症の特徴は「強い痛み」です。猫は痛みを表立って表現することはあまり多くありませんが、塞栓により血行を失った部位では猫が「悲鳴を伴う」程の強い痛みを訴えることが多く、その痛みは非常に強いものと予想されます。疼痛緩和はこの疾患で行うべき重要な治療のひとつです。

動脈塞栓症は重大な合併症を伴い易いという特徴があります。多くの例で肥大型心筋症などの心疾患の悪化によるうっ血性心不全が併発しており、肺水腫胸水などによる呼吸不全がみられます。また、急性腎不全虚血による組織の破壊で生じる高カリウム血症低血圧低体温循環不全などによるショック状態など、生命を脅かす条件には事欠きません。こういった重大な合併症は猫の動脈塞栓症による死亡率をさらに上昇させる要因となるため、その発見と治療には注意が必要です。

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文責:あいむ動物病院西船橋 病院長 井田 龍

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