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診療コラム
 

チョコレート中毒

2月14日、今年もバレンタインデーがやってきました。。。

例年通り、心のこもったものからそうでないものまで、悲喜こもごものチョコレート贈呈式が全国で繰り広げられることと思われます。
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この時期に家庭内で多発する犬(まれに猫)の中毒として「チョコレート中毒」はあまりに有名です。
”犬の飼い方”的な書籍やSNSなどネット情報でも、注意すべき中毒として筆頭に取り上げられていますので、多くの方はよくご存知ではないでしょうか。

チョコレート中毒チョコレートココア、それらが含まれた”加工食品”にさまざまな割合で含まれる「テオブロミン」の過剰摂取により起こります。

このテオブロミンは、皆様がよくご存じのカフェインと似た物質で、植物由来の化学物質(ファイトケミカル)として、モルヒネコカインなどの麻薬と近縁の関係にあり、呼吸器心臓筋肉に対して強い「興奮作用」を持っています。

テオブロミンチョコレート、その原料のカカオマス(カカオ豆)に多く含まれます。また、昔の”コカ・コーラ”エキスの原料として知られるアフリカ原産の”コーラ”という植物の実や、”強壮剤”として有名なガラナの実、茶葉にも含まれています。

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ところで、このテオブロミンですが、なぜ人間は大丈夫なのに犬は中毒を起こしやすいのでしょうか?

それは、犬ではテオブロミンの分解と排泄にとても時間がかかるため、容易に体の許容量を超えて蓄積してしまうためです。

チョコレート中毒の表れ方は様々です。
下痢、嘔吐、発熱、興奮、頻脈、不整脈、多尿、ふらつき、パンティング(息が荒くなる)、腹痛、けいれんなど多岐にわたる症状を示します。

摂取量が多い場合にはさらに昏睡状態から死に至ることもあります。

チョコレート中毒は誤食後の6~12時間程度で中毒症状が現れます。

犬は人間よりもテオブロミン代謝・排泄に時間がかかるため、チョコレートを食べてから24時間程度は中毒が起こる危険性があります。つまり、食べてしばらくして何もないからといって安心は出来ないのです。

では、チョコレートはどのくらい食べると危険なのでしょう?

テオブロミンの中毒量にはそれぞれ個体差があります。
その致死量は体重1Kg当たり
犬では100~200mg、猫では80~150mgであるといわれています。
20mg/kg程度から興奮などの軽度な異常がみられ、60mg/kgで痙攣などの強い症状が起きる可能性があります。
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意外に思われるかもしれませんが、大型犬は小型犬よりもチョコレート中毒の発生リスクが見かけ上少なくなることはご存じでしょうか。
一般家庭のテーブルの上にミルクチョコレートが10枚も20枚も置いてあることは通常ないのがその理由です。つまり、大量に食べる必要があるためです。

一方で、小型犬や小型化が著しいトイ種のような2キログラム以下の超小型犬種では特に中毒の発生リスクが高くなります。これは、大型犬とは逆の理由です。
体重が少ない方が中毒量に至るテオブロミンを一気に摂取してしまう機会が多くなります。

つまり、動物を取り巻く生活環境の影響により、チョコレート中毒は犬の体格が小さいほど、より致死率が高くなる傾向があるのです。

また、チョコレートに含まれるテオブロミン含有量は製品には詳しく記載されていないこと、さらにチョコレートの種類によっても大きな差があるということが、誤食の場合の不安を煽る結果となります。

チョコレートを含む加工菓子ではメーカーの相談窓口に問い合わせても、カカオマスの量も不明または即答できないということがほとんどであり、公的サービスの「中毒110番」でも同様です。(※)
つまり、消費者レベルでの危険性の判定が難しく、飼い主さん自らがその判断を迫られます。

(※)「中毒110番」は人間用のサービスであり、飼育動物に関しては本来は対象外です。

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もし、誤食してしまった場合のざっくりとした目安ですが、チョコレート類の1グラムに含まれているテオブロミンは下記の通りです。

・製菓用チョコレート :15mg前後
・ココアパウダー   :5-20mg
・ダークチョコレート :5mg前後
・ミルクチョコレート :2mg前後
・ホワイトチョコレート:<0.05mg

よくあるミルクチョコレートの板チョコで換算すると、1枚で約55gとしてメーカーによっても異なりますが、だいたい110~120mgのテオブロミンが含まれます。

つまり、体重5kgの犬ではミルクチョコレート5枚ほどで致死量レベルに達するということになります。

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チョコレートを誤食したという訴えで来院する患者さんの多くは、摂取量が少なかったり、もともとカカオ含有量の少ないチョコレートや菓子類の誤食であったり、結果的にはテオブロミン中毒量にまで至らならないケースが多いものです。
例えば、ミルクチョコレートや”チョコレート風味”の加工菓子類はカカオ含有量がもともと少ないため、ある程度食べても治療の必要性ないものものがほとんどです。

一方で、カカオ含有量の極めて多いダークチョコレート、「製菓用のチョコレート」やそれをふんだんに使用したホームメイドのチョコレートケーキなどの誤食には特に注意が必要です。
また当然ですが、カカオ含有量の少ない製品でも”大量”に食べてしまった場合も同様です。

チョコレート中毒を起こすテオブロミンの過剰摂取に対しては有効な”解毒薬”はありません。つまり、体に吸収される前に除去しなければならないため、中毒を回避する処置には時間制限があります。

まだチョコレートを含む食事内容がまだ充分に胃内にあると考えられる、数時間以内の段階で除去することができるならば、摂取量によらず経過は良好です。
もし、中毒量に近いチョコレートを食べてしまったと思われる場合には、あまり時間をおかずに早急に動物病院にご相談ください。

それでは、楽しいバレンタインデーを。。。ワンコのいるご家庭ではくれぐれもご注意ください。

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文責:あいむ動物病院西船橋
   病院長 井田 龍

動物愛護法について

動物愛護を規定している法律があるということ自体をご存知の方は多いと思います。
今回のテーマは動物愛護とそれを取り締まる法律についてちょっと掘り下げてみました。何とも堅いお話かもしれません。。。

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現在の我が国における犬猫等、飼育動物の動物愛護を規定する法律は「動物の愛護及び管理に関する法律」です。

この法律は「動物愛護法」や「動物愛護管理用法」もしくはやや古い呼び名の「動管法」など、この法律に関わる動物愛護、行政、ペット産業など、法律を見る立場によって異なる名称で呼ばれています。(当ブログでは動物愛護法とします)

そもそも、この法律の前身となった「動物の保護及び管理に関する法律」はその特徴として各種産業や行政に対しての規制を行うための「産業法」としての性質を持っており、現在の動物愛護法にもその特徴が色濃くみられます。

つまり、動物愛護法は初めから”動物愛護ファースト”の法律として生まれたものではありませんでした。

我が国における動物愛護法は、動物の管理や規制に重きを置く既存の法律に、時代が求める動物愛護の精神を加えつつ、順次改正を重ねてバージョンアップしてきた法律であるという歴史があります。

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動物愛護法は基本原則として、すべての人が「動物は命あるもの」であることを認識し、みだりに動物を虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指し、動物の習性をよく知ったうえで適正に取り扱うことを求めています。

また、飼い主はその責任として、動物の種類や習性等に応じて、動物の健康と安全を確保するように努め、動物が人の生命等に害を加えたり、迷惑を及ぼさないこと。
みだりに繁殖することを防止するために不妊去勢手術等を行うこと。
動物による感染症について正しい知識を持ち感染症予防のために必要な注意を払うことなどを定めています。

さらに、動物が自分の所有であることを明らかにするための措置を講ずること、動物の所有情報を明らかにするためにマイクロチップなどの装着を推進しています。
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>動物愛護管理法の概要について

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冒頭にも書いた通り、動物愛護法は1973年に成立した「動物の保護及び管理に関する法律」を元にしていますが、当時はまだ現在のような動物愛護への意識の高まりや議論が成熟していない時代でもあったのでしょう。
法律の趣旨は動物愛護に重きをおいた国民意識の向上というよりも、むしろ、行政などが動物をどう管理し、扱うかという実務面に主眼が置かれていたようです。

昭和のバブル景気の第一次ペットブームを経て、時代の変化とともに飼育動物は愛玩動物(ペット)から伴侶動物コンパニオンアニマルと呼ばれるようになってきました。
これは飼育動物への向き合い方がより深く多様化して、人生における伴侶や家族、かけがえのない友人という位置づけで、人と共生する飼育動物のあり方が定着してきたという変化の表れといえるでしょう。

動物愛護の概念の変化による時代の要請を受け、さらに”国際的にも通用する法律”を目指して1991年に改正された法律が現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」、すなわち動物愛護法なのです。

また、各地方自治体でもこの動物愛護法の成立を受けて「動物の愛護及び管理に関する条例」が制定されているのはご存知でしたでしょうか。
当院のある千葉県でも2016年に「千葉県動物の愛護及び管理に関する条例」が施行されており、各自治体レベルでの動物愛護に関する規定と罰則を設けています。

>千葉県動物の愛護及び管理に関する条例

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動物愛護法では第44条に「動物の所有者」は適正飼育と保護など、動物の適正な取り扱いに努めなければならないと規定されています。
また、愛護動物をみだりに殺し、傷つけたものは最高で2年以下の懲役、または200万円以下の罰金、様々なネグレクト等の愛護動物の保護、管理の放棄やその他虐待、遺棄に対しては100万円以下の罰金が科されることになっています。

また、我々獣医師に対しては第41条では、業務上、みだりに殺されたり傷つけられた、もしくは虐待を受けたと思われる動物を発見した時には都道府県知事やその他関係機関への通報を促しています。

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念願の動物愛護を前面に謡う法律は施行されました。法律を実効性のあるものとするためには、しかるべき行政の「関係機関」に執行を委ねなければ十分な効力を持たせることはできませんが、ところがこれが早々に問題となりました。

つまり、どこがこの法律を執行するのか?ということです。
法律が機能するためには法律にある通報すべき「その他関係機関」とはいったい”どこ”で、通報者が”どのように”手続きを踏めばよいのかという手順が明らかになっていなければなりません。

当然、わが国には「動物保護監督署」なんてものはありませんから、こうした法律違反を懲罰ないし逮捕権を持って取り締まることができる「署」は警察署だろうと容易に想像できるのですが、法案成立直後しばらくは警察との連携がうまくいっていたとはお世辞にも言えない状況だったようです。

警察以外ではどこでしょう?国、地方自治体に関わらず「〇〇所」という組織があまり期待できないのはご想像のとおりです。

法律はその執行の手順があいまいなままだといわゆる”ザル法”になってしまいますが、広い意味でも狭い意味でもわが国にはそのような法律があらゆる分野に見られます。
よく例に出される政治資金規正法売春防止法、パチンコなど賭博関係の無法状態など挙げればきりがありませんし、動物関係であれば狂犬病予防法がそうした法令に該当するかもしれません。

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2012年の動物愛護法改正では、こうした点も考慮してか、警察との連携がようやく盛り込まれました。
これに伴って法律の執行に関して警察庁から各道府県警察警視庁に通達が出されているようですが、それでも残念ながら実際には現場では事件や犯罪として扱われることもなく、文書にさえ残らないという問題が生じていました。

その後、再び2016年に動物の殺傷、虐待、遺棄などが考えられる場合の 警察の対応を求めるための指針「愛護動物の対応要領」が警察庁から各都道府県警察宛てに出ています。
警察の現場レベルでは動物愛護法違反は犯罪であるという認識がまだ薄いというのが現実ではあるのですが、警察の統計資料では動物虐待事犯の「検挙事件数」に関しては統計がある平成22年以降、確実に増え続けているようです。
平成29年(2017年)に68件という数字はまだまだ不十分なものかもしれませんが、今後のより適正な法の執行を期待できるデータであろうと思います。下記に「警察庁生活安全局」の統計資料を示します。

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愛護動物の対応要領」では、下記に該当するような事例があった場合に、警察がどのように対応するべきかが分かりやすいチャート形式になっています。動物虐待が疑われるような個々のケースにおいてその対応が警察官に十分に周知されていない場合、警察が執行すべき業務の基本事項として提示できるのではと思います。

警察庁から各都道府県宛てのお達しですから警察官に職権を行使していただく上で、ある程度の効力を期待できるのではないでしょうか。

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我が国はいわゆる「法治国家」です。
しかしながら、行政が直面するさまざまな問題や利害関係などへの”忖度”による不作為、ないし作為による法律の不適切な運用が残念ながら様々な分野でまかり通ってしまっているのが公然の事実ではないでしょうか。

こうした行政のヤル気、状況次第による法律の運用はその在り方として望ましいとは到底言えませんが、こうした状況の改善を当事者の行政任せにしても何の解決にもなりません。

一般市民の方々はもちろん、動物愛護法に通報の努力が明記されている我々獣医師などの関係者は特に無関心であってはならないと思います。それが直ちに物事に変化を与えるものではないにしても、こうした問題に対して関心を持って見守っていく、という姿勢を常に忘れてはならないでしょう。

動物愛護法で謡われている理念や決まり事、罰則が十分機能せず、ただ条文に書いてあるだけの「放置国家」ではあってはならないと思うのですが、皆様いかがお考えになるでしょうか?

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文責:あいむ動物病院西船橋
病院長 井田 龍

サルコペニアとは?

今回のテーマは動物医療におけるサルコペニアについてです。
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サルコペニア」という言葉を見聞きしたことがあるよと言う方は、実際、医療関係者以外では、おそらくかなり少ないものと思います。まだ、メディアなどでも取り上げられることはほとんどなく、あまり聞きなれない言葉でしょう。

実際、ホラー映画のタイトルのようなポジティブ感のない綴りも相まって、ほとんどの方が何やら”よからぬもの”を連想されるのではないかと思います。
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サルコペニア」とは、ギリシャ語で"sarx,sarcoサルコ"という"筋肉"を表す言葉と、"peniaペニア"という"欠乏、減る"を意味する言葉を組み合わせた、ギリシャ語由来の造語で1989年に人間の医療において提唱されました。
こうした言い回しは医学用語でよくみられる造語のルールで、例えば、”白血球が減る”の意味のLeuko-penia(白血球減少症)などと同じ様式です。

つまり、サルコペニアは直訳すると「筋肉減少症」のことです。

歳をとる、病気になる、偏った生活習慣などによって体重の減少をはじめとして、体の様々な機能が落ちて人体が衰弱に向かうということには誰しも納得ができるのではないでしょうか。
こうした身体機能の低下のうち、「筋肉の質」と「量の減少」に関して医学的な問題、つまり疾患として着目したものがサルコペニアの考え方なのです。
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もちろん、若い時はまだしも、歳をとれば誰しも当然、筋力も筋肉も落ちるわけだから、どこまでが正常でどこからが異常なのか、なんとなくモヤっとさせられるのが正直なところかもしれません。

では、サルコペニアと呼ばれる状態が正常な「老化現象」と異なる点はいったいどこにあるのでしょうか?

多くの方にとって「筋力の低下」や「筋肉量の減少」は自然な老化現象の一部であり、ほとんどが疾患として捉えるほどの問題ではありませんが、このサルコペニアは単なる「老化現象」にとどまりません。

サルコペニアの疾患としての考え方は、階段の上り下りなどごく当たり前の”日常生活に大きな支障を生じる、深刻な症状を伴う筋肉の減少”という、”運動を司る臓器”としての「機能不全」を特徴としています。つまり、体の最も大きな”臓器”の問題でもあるのです。

実際、筋肉は体の活動に欠かせない基礎代謝を担い、そのエネルギーとなる糖質代謝や体の老廃物となるアンモニアの処理を行なっていることが知られています。これは肝臓と同じ仕事をこなす、まさに臓器としての振る舞いです。

つまり。。。

サルコペニア ≒ 臓器不全
という図式が実質的に成り立つと考えることもできます。

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さて、ここで私たちの動物医療の現場ではどうでしょう。

動物医療においても患者動物の高齢化がものすごいスピードで進行しています。人と比べて寿命が長い猫でも20年前後ですから、単純計算で人間の5〜10倍のスピード感です。

このため、人と同じように「老化」や様々な「病気」の症状衰弱をきっかけに急速に筋肉量を減らし、人間の医療でのサルコペニアとそっくりな状態に陥っていると思われる動物達にはかなりの割合で遭遇します。

もちろん、その病気の”かたち”は人のものとは若干異なりますが、発生の仕組みは人の高齢者と根本的な原因に大差はなさそうです。

もちろん経験を積んだ獣医師は、サルコペニアとはいかなる現象であって、どのように悪化して何が起こるかということに関しては充分に理解しています。
それにも関わらず、動物医療では疾患としてのサルコペニアは用語そのものの認知度も含めて、まったく浸透していません。

動物医療では過度の筋肉減少が引き起こす現象がまだ疾患として定義されておらず、それ自体が大きな問題なんだという共通の認識はまだありません。
その理由は病気などで”筋肉が減る”ということが当たり前すぎて問題点として掴み所がない、つまり単純に灯台下暗しというところでしょうか。。。
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単にサルコペニアという現象面だけを見るならば、これは医学の長い歴史で常に患者の傍にあり続けた問題であり、1989年になって突如として”新たな脅威”が出現したわけではありません。
つまるところ、病気になれば体は痩せて、その機能を失うという誰でも知っている当たり前の現象でしかないのです。

実は、人間の医療でこのサルコペニアがクローズアップされてきた背景には、近年の”先進国”での高齢化による医療のあり方の変化が大きく影響を及ぼしています。

ざっくりすぎで怒られそうですが、昔から医学の発展とは人類を脅かす疫病、つまり感染症との戦いの歴史と言ってもいいくらいのものです。
近年では、感染症の原因となる様々な病原体の特定やその仕組みがどんどん明らかにされ、主に抗生物質の進化を中心とする治療薬の進歩により、その脅威は表面上は過去のものになりました。

そして、生活環境が格段に良くなった先進国では、その後にやってきた高齢化の進展による慢性疾患や”がん”などの病気医療の主戦場が移りました。
今でも世界的にも医療のあり方が高齢者をターゲットとして変化を遂げている真っ最中であり、特に我が国のように同時に少子と高齢化が進むような国家ではより顕著でしょう。

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実は、高齢者が医療の大勢を占めるようになったということと、サルコペニアの問題は切り離すことができません。

高齢者はそもそもの活動レベルが低い状態ですから、病気や怪我をしたり入院するなど生活環境の変化によってサルコペニアのリスクが格段に高まります。
つまり、それにまつわる問題は「医療コスト」だけではなく社会へ及ぼすコスト、高齢者という大きな集団が生み出す問題として連鎖して社会問題へと変化します。

実は、世の中では医学の問題というのは個々の患者の「病気」や「治療」という本質にして枝葉の問題だけに留まらず、むしろ政治や国の福祉、財政、経済の問題だったりと直結していますからこれは当然のことでしょう。

つまり、このサルコペニアという現象を医学的な課題として対処しないと、巡り巡って高齢者が中心となる医療がうまく回らないよという警鐘として、20世紀末でのこのサルコペニアの定義は先見性に富むものだったのではないでしょうか。

例えば、現在大きな問題となっている認知症骨粗しょう症も重症化する患者さんが社会的な問題となって初めて、これが重大な疾患であると世の中に広く認識されるようになっている、こうしたことと同じような構図でしょうか。

社会への影響を持たない”個”のみの動物医療での切り口と、高齢期医療の主体となる”膨大な人間集団”が起こす社会問題としての視点からのサルコペニアへの切り口は、そのスタートラインからして全く違うものであるのは当然でしょう。
患者さんの個々の問題の枠を超えてそれが社会の問題となり得るかどうか、こうした点からも動物医療のこの問題への無関心は、さもありなんという感じを受けます。
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ちょっと話が脇に逸れてしまいました。
次に人でのサルコペニア一次性(原発性)二次性という分類についてです。

一次性サルコペニアとは加齢性サルコペニア年齢以外に明らかな原因が考えられないものを指します。また、何らかの原因に連なって生じるとされる、二次性サルコペニアは下記の3つに分けられます。

●「活動量に関連するサルコペニア
 ・ベッド上安静、不活発な生活習慣
 ・体調不良、重力の負荷がない状態

●「疾患が関与するサルコペニア
 ・進行した心臓、肺、肝、腎などの臓器不全
 ・炎症性疾患、悪性腫瘍、内分泌疾患などの基礎疾患

●「栄養が関係するサルコペニア
 ・摂食不良、消化吸収不良、食欲不振など

実際にはサルコペニアとは単なる”加齢現象”のみではなく、その多くが問題となる要因が複雑に組み合わさって”二次的”に生じる傾向があるようです。

さらに、加えて体の細部のメカニズムまでを考慮すると、下記のようなたくさんの要因が、サルコペニア発症の候補としてあげられます。
ちょっと専門的で見難いところもありますが、サルコペニアというものがいかに多くの因子によって起きているのか、ということを分かって頂けるのではないかと思います。

・身体活動度の低下
・栄養(たんぱく質)不足
・筋たんぱく質の同化抵抗性
・骨格筋幹細胞の減少、活性化不全
・運動神経と支配下にある筋線維の減少
・神経と筋線維の接合不全
・酸化ストレス
・炎症の存在(TNF-α,インターロイキン6)
・ホルモンの影響(成長ホルモン,IGF-1,DHEA)
・インスリン抵抗性
・ミトコンドリア機能低下
・アポトーシス(細胞死)
・ビタミンD欠乏と上皮小体ホルモンの過剰
・筋肉への血流量低下
・骨格筋幹細胞の活性化因子の低下?

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サルコペニア治療予防法に関しては、人では「運動負荷」や「栄養学」の側面からのアプローチが多数なされており、これらを組み合わせることが効果的だということが分かっています。
しかしながら現在のところ、上記の表にあるようなサルコペニアのメカニズムをコントロールするような薬物による治療法は、まだ人の医療分野でも確立されておりません。

人の医療では歩けなくなる前にサルコペニアの進行を止めるため、歩行に必要な筋肉を鍛える必要があり、特に筋肉に負荷をかけながら行うレジスタンス(抵抗)運動が有効であるとされています。
ここでのレジスタンス運動とはいわゆる、”筋トレ”のイメージです。

動物には日常生活の中での自発的な”筋トレ”は困難ですので、いわゆる老犬介護整形外科疾患治療の一環として行われるようなリハビリの手順が有用と思われます。
また、入院環境での寝たまま、同じ姿勢での安静を極力避けるような、さまざまな配慮が必要となるのはいうまでもありません。
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栄養学」の面からは高齢や病気による食事量の低下を極力補うために、食事のカロリーコントロールをしっかり行って栄養の不足に注意して食事を絶やさないこと、特に筋肉を作り出す元となる、たんぱく質を豊富に含む食品の摂取を増やすことが効果的です。

「骨格筋量」「筋力」「身体機能」の維持は、高齢期に不足しがちなたんぱく質の摂取量に深く関係していることが知られています。

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ほとんどの犬や猫などの伴侶動物は年齢や活動量などによって栄養組成、カロリーなどが規格化されているペットフードという「加工食品」を常食としています。
本当にペットフードだけでいいのかとか、その”必要悪”な側面はここでは一旦置いておきます。。。

ところで、こうした現実は裏を返せば、”よい面”として食事の多様性がない分、人では難しい厳密な栄養管理カロリーコントロールがむしろ行いやすい環境にあるということでもあります。

実際に多くのメーカーが治療用ペットフードである、食事療法食の分野で「年齢」「疾患」「生活環境」「嗜好性」により適応した、より優れた製品の開発にしのぎを削っています。
このため、現在では食事療法食の製品の幅は広く、獣医師の治療方針に寄り添いつつ、さまざまな条件の患者動物に合うような食事療法食を選択することができます。

サルコペニアのように筋肉の減少を起こしている高齢動物に対して、食べることや排泄に問題がなければ、人の基準のように、まずは”高たんぱく・高カロリーであるという条件を満たす療法食が考慮されることが多いだろうと思います。

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(※)高たんぱく・高カロリー食の一例

ただし、腎臓病をはじめとする疾患の罹患率が高い高齢動物での高たんぱく食を選択するには前もって医学的な評価が必要ですし、まざまな理由で”高たんぱく食”が適用とならないケースも多発します。
特に消化吸収能力の落ちている高齢、もしくは潜在的に消化器疾患を持っている可能性がある動物への高たんぱく・高脂肪な食事は下痢嘔吐などの問題を生じやすい傾向があり、些細な食事の変更であっても充分な注意を払う必要があります。

(※)食事療法食の選択は治療行為の一環として治療と不可分な関係にあります。その選択にあたり、獣医師の知見や助言を前提に設計されている製品ですので、不適切な使用を防ぐために必ず動物病院でご相談ください。

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サルコペニアに対して食事以外からの栄養的なアプローチとして、「運動療法」と合わせて必須アミノ酸の補給が有効ではないかとされています。
これは加齢により、食事だけでは体内で充分なアミノ酸量を維持できないということが、サルコペニアの原因になっている可能性があるという研究結果によるものです。
筋肉で代謝されてエネルギーや筋肉の元となる、必須アミノ酸ロイシンまたはこれを含む分岐鎖アミノ酸製剤BCAA(イソロイシン・ロイシン・バリン製剤)の有用性が期待されています。
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※動物病院でのBCAA製剤(サプリメント)の一例
⇨ ヘパテクトプレミアム(Meiji Seikaファルマ)

その他にビタミンDEPAエイコサペンタエン酸)、DHAドコサヘキサエン酸)など抗炎症作用が期待される多価不飽和脂肪酸の一部にその効能の可能性がいわれていますが、まだはっきりしない点も多いようです。
また、ビタミンCビタミンEカロテン類ポリフェノール類、それに類する抗酸化物質などによる筋肉・神経細胞の保護効果は限定的ながら可能性があるかもしれません。

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動物医療の世界ではサルコペニアはその用語の普及も含めて、それが単独の疾患として、その予防や治療の可能性のある医学的な問題であるというほどの認知度がありません。
つまり、明らかに”今そこにある”サルコペニアという現象は、高齢期での様々なトラブルを抱えた患者さんの傍にありがちな風景のひとつとして見過ごされているに過ぎないのです。

動物医療においても、高齢期の食事量や運動量の不足など不適切な「生活習慣」をはじめとして、慢性腎臓病消化器疾患などの臓器不全がんなどによる体の消耗や、関節症変形性脊椎疾患などによる運動量の低下など、いろいろな要因が筋肉量の低下を伴う体重の著しい減少を引き起こします。

しばしば経験するところですが、高齢の患者さんでは特に筋肉量皮下脂肪を含めた”体重の維持そのもの”が「体調」を良好に保つ上で不可欠であり、それが結果的に治療成績を良くする、また病気は完治しないまでも最終的に”よい治療”になることを数多く経験いたします。

高齢期での何らかの治療行為に向き合う前提として、我々治療を行う側には常に現象を謙虚に受け止めるために、患者さん側にはより良い治療を受けるために、
こうしたサルコペニアと呼ばれる現象があるということ、またそれに向きあうための「無知の知」みたいなものへの気づきのきっかけとして、当コラムがお役に立つことができれば幸いです。

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文責:あいむ動物病院 西船橋
病院長 井田 龍

 

過去の当院のブログに食事量が落ちがちな老齢犬に食事をあげるための簡単な工夫に関しての記事があります。ご興味のある方はぜひご覧になってみてください。

>高齢犬の「ごはんの工夫」あれこれ

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